「気配の源とはどこにあるのだろう?」
私にとって作品を作ることはそれを‘探す’行為だ。
森の中や神社の境内、または暗い夜、風が流れる空、さまざまな時間や場所の中には
それぞれ特別な気配が漂っている。子供の頃からそこには何かいるのだと思っていた。
その考えは今も変わらない。
‘神’ほど確かな存在ではなくて、もっとまとまりのなく掴みどころのない曖昧な存在である。
ガラスは透過性や流動性、偶然性をまとって私と‘それ’を探す手伝いをしてくれる。